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 子どもを動かすもの

 Stay homeで閉じ込められたとき、読みだしたのは25年前に買ったままのツン読の井上ひさし著「四千万歩の男」だ。今から220前、徒歩で実地測量をして日本地図を作ったスーパーヒーロー伊能忠敬の歴史小説である、一旦、読みだしたら止められなくなるほど痛快である。謀略、密告、仇討、略奪、横領、虐待、放火等の世の中の不正に立ち向かう主人公が、芝居風に描かれている。

 下の文章は、夢太郎という七歳の少年を、旅先でやむなく押し付けられ、弟子として育てることを覚悟する

場面である。著者は、苦労人の忠敬の口を借りて、子どもの教育について語っている。

 

 豊かで自由なった現代、いろいろな考え方があるだろうが、下記の文章は、大人がつい忘れがちな原点かもしれない。うちは小さな会社だが、私たちも少年少女たちの目の輝かせるsomethingをいつも考えている。そしていつも悩んでいる。

 

 

 

 

 

 忠敬は、正面に先生の机があり、その机と向かい合って、弟子がおとなしく座るという寺子屋式

のやり方が嫌いだ。そういう教場は確かに、弟子がただ聞き、憶え、筆記することには向いている

かもしれない。だが、そんな教場で、体系的に教わることなど、ものの役に立たない。これははっ

きりしていた。その手の秀才は現場では、ただのでくの棒である。また、忠敬は試験というものを

好まない。唐土の試験制度を鵜呑みにして、公の教場では試験が大流行だ。だが、試験で養うこと

のできるのは、暗記力ぐらいのものだ。暗記力もまた現場の役に立たぬ。現場では物知りは余計者

だ。現場では仲間とどれだけ堂々と意見の交換ができるか。一言でいえば、書物からではなく、現

場からどれだけ多くのことを学びとることができるか。そこに学者として大成できるか否かの別れ

目がある。忠敬は、そう信じていた。

 教材を、上から、先生から、弟子に与えるのも嫌いである。上から弟子にものごとを詰め込んでも、

長い目で見ればそんなもの何の役にもならない。義務で憶えた知識は、真の知識ではない、と忠敬は

考えている。教材は弟子が自分からつくり出せればよい現在の興味」、これこそ子どもを動かし、

しかもずっと先まで彼を導く真の教材である。

 

 井上ひさし著  「四千万歩の男」5巻 p499 より講談社より I.Y